つい先日,丁度「信じる」という言葉を吐いてしまったところなので,なんとなく考えさせられてしまった.
自分の場合はどうか?と思い返してみたけれど,間接的に事象に対して「信じる信じない」という言葉をよく使ってるかも.
間接的にってことだけど,その事象を知ることになった情報(と伝達経路)を信じられるかどうかって言うことで,その部分を略した結果,言葉にすると文法的に事象に対して使っていることになっていた.
例えば先の月面着陸のことなら,それを発表したアメリカ政府とか,アームストロング船長の体験談(を掲載したメディア)とか,月面でフワフワ歩く映像とか.
そしてそれを見聞きした自分の五感もか.
事象を「事象」で語るか「情報」で語るかで違ってくるってことか.な?